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私がそれらのことを終えた頃にアホの末が起きた。10時間近くも眠っていただけあって、起きた時の顔色は良かった。本人も体調はかなり良くなったと思っていたようで、「今日は大丈夫!」と何度も声に出して私にアピールしていた。このアホの末の復調ぶりに私も胸を撫で下ろした。 何故なら、この日は八十八ヶ所の寺の中で最も苛酷な道程である44番大宝寺まで辿り着こうと目論んでいたからである。距離こそ72qと、38番金剛福寺、24番最御崎寺に次ぐ3番目の長さであるが、この2つの寺が、遍路道や山中の道も交えるとは言え、殆ど海岸沿いを通って行くのに対し、大宝寺は四国の右目にあたる標高1982m石鎚山の近くまで、ひたすら山奥へ山奥へと入っていかなければならないため、苛酷さが比べものにならないのだ。 前日の途中までのように、アホの末の体調が悪いままだったら、とてもじゃないが辿り着くことはできない。しかし、アホの末が復調したことで、またもや「どうにかなる!」という気になった。そして、彼方に見える青空は、良いことの兆しだと前向きに捉えたのだった。 全て準備ができたところで、午前8時半に出発した。ここから明石寺までは、約2qほど。目をつむっていても辿り着ける距離である。途中、寝起きで体が温まってなかったため、寺の直前の急な坂ではかなり苦しめられたが、それ以外にはさしたる障害もなく、明石寺には比較的楽に辿り着けた。
短い石段を登ると、山門があり、その奥に本堂があるという、八十八ヶ所の寺の中ではオーソドックッスな造りの明石寺。やはり、ここも大宝寺までの通過点でしかなく、大して見るべきところはなかった。が、どの寺で納経したことも、大切な思い出の一部であることに変わりはなく、次に来るとしてもアホの末と一緒にこうしてマウンテンバイクで来ることはないため、今、この一瞬を記憶に鮮明に焼き付けておこうと思った。 そう思うと、大したことのない寺なんてあるはずがないということに気付く。何故なら、大したことのない寺だと感じても、その寺をとばして次の寺に行くわけにもいかないし、その道程もそれぞれ違うし、そこへ行くまでも様々なドラマがあるのだから。ここでは、写真を撮ってくれた気の良いおじさんと、愛想の悪い納経所のババアが印象に残った。
自転車屋の兄ちゃんに貼ってもらった 一昨日に続いて短期間で2回目のパンクということもあり、少し腹が立ったが、そこは人間が良くできた私のこと、アホの末と違って、「何で俺ばっかりが!」というようにふてくされることはなかった。フレンチチューブは買っておいたし、初めてチューブ交換ができるからラッキー!と、すぐに考えを前向きに改めた。
いざやってみれば、さすがの手先が器用な私である。前後輪とも、マウンテンバイク本体から取り外せるものだったからやり易かったというのもあるが、それを抜きにしても初めてのチューブ交換とは思えないほどの見事な手さばきで、あれよあれよという間に新しいチューブに交換し終えてしまった。これには、アホの末も驚いていた。今回のパンク処理は、私自らの手で行ったので、これでもうパンクはしないだろう、いや、してたまるかという自信に溢れた気持ちになった。 チューブ交換を終えたところで、進行を再開。進行を再開してすぐに遍路道を抜けて国道56号線に合流した。どうやら思ったよりも短い遍路道であったようである。しかし、国道56号線に合流したものの、遍路道の看板を見逃して迷ってしまったため、やむをえず最寄りの駅に立ち寄り、駅の前で客待ちをしているタクシーの運ちゃんに道を聞いた。さすがにタクシーの運ちゃんは、道を良く知っているだけあって、すぐにこう行って、ああ行ってという具合に分かり易く道を教えてくれた。やはり、道はプロに聞くに限る。 タクシーの運ちゃんに教わった道を大宝寺目指してひたすら走る。5〜6q走ったところで、ちょっとした異変に気付いた。思いっきりペダルを踏んでいるのに、何故かスピードが出ないと思ったら、平地と思っていたのが、実は非常に緩やかながらも延々と続く上り坂だったのだ。しかも、傾斜は徐々にではあるが、大きくなりつつあった。そのことからも、これからどんどん四国の中央の山間部に向かって高度が上がって行くのだということが分かった。 大した傾斜の上り坂ではなかったが、それが10q近くも続いたため、体力的には結構キツいものがあった。まるで、こつこつと小さいボディブローを当てられて効かされたというような感じだった。
この休憩ポイントからは、下界を望むことができた。眼下に見える風景から判断するに、かなりの高さまで上ってきたということが分かった。遍路道の看板が現れた時に、急な坂道を上らないで助かったと思ったが、結局、上ることからは逃れられなかった。マウンテンバイクで坂道を上るか、歩いて山道を登るかの違いだけだった。
上りでは歩きお遍路さんよりも遅くとも、下りでスピードを出せるのがマウンテンバイクの最大の利点である。まあ、それも、このようなマウンテンバイクに乗れるぐらい緩やかで、障害の少ない下りであったらのことだが。 遍路道から抜け出たところで、またもや国道56号線に合流。ここからは、ひたすら下った。10分ほど下ったところで、国道56号線と立体交差した大洲バイパスが現れた。これをどう行くか、分からないので、遍路地図を開いた。このまま国道56号線を行っても良いのだが、ここまで国道56号線ばかり通ってきて飽きていたし、距離的にもどっちを行っても大差なかったため、大洲バイパスを行くことにした。時刻はもうすぐ正午、私は空腹に耐えかねて、前日の夜食の残りである、かなりでかい饅頭を食ってしまった。このことが、この後すぐのことに影響を及ぼすことになってしまった。
私は、こういう個人でやっている、どこから見ても「食堂」といった雰囲気のある食堂が好きである。何故なら、こういう店では、家庭の味が楽しめるからだ。また、壁に貼られたメニューを見ると、各種定食や丼物など種類も充実しており、おまけに値段も安かったので、なおさらこの食堂を気に入ってしまった。 メニューを見て迷った挙げ句、カツ丼の大盛を注文したのだが、一人で店をきりもりしているため、揚げ物は手間がかかるから、やりたくないと言われたので、やむなくチキンライスの大盛にした。揚げ物は手間がかかってやりたくないのなら、揚げ物系をメニューから外せよと思ったが、カツ丼にそれほどこだわりはなかったので、人間の出来た私は、「おばちゃんも一人でやっているのだから仕方ないよな。」ぐらいにしか思わなかった。 注文したものが出てくるまで時間がかかりそうなので、その間におばちゃんに了解を得て、デジカメ等の充電をさせてもらった。 待つこと20分、ようやく注文したものが目の前に並んだ。大盛で注文したとはいえ、とてつもない量であった。その量に驚きながらも、最初の一口を口に入れた。口の中に広がる、ケチャップと、玉葱の甘み。これは紛れもなく、家で母ちゃんが作るのと同じ味であった。何も、特別な調理をしているわけでもない、オーソドックスなチキンライスなのだが、私にはこれで十分だった。
その気持ちは有難いが、二人でたかだか千円ぐらいのものしか食ってないのに、二千円ももらったら、おばちゃんは大赤字である。「気持ちは大変有難いんですけど、それはいただけません。コーヒーもいただいたし、食事も美味しかった。それで十分です。どうしてもと言われるなら、その気持ちだけいただきます。」と何度も何度も断って、ようやくお金をおさめてもらえた。
食堂を出る時におばちゃんが、「気をつけね、また来てやぁ!」と言ってくれた。私にとっては、その言葉がどんな接待よりも嬉しかった。この食堂もたこ焼き屋と同様、私の一生私の記憶に残ることだろう。 午後12時50分過ぎに千津食堂を出発。ここから大宝寺までは約50qほど。緩やかな道なら十分可能な距離なのだが、途中に遍路道があったり、これから高度がどんどん上がっていくことを考えると、これをあと4時間で辿り着けるかどうかは、微妙なところだった。おまけに、食い過ぎで胃が重く、体が思うように動かなかった。だが、そんなことで、歩みを止めるわけにもいかず、しばらくは、苦しいのを我慢して走るしかなかった。 地図上では、そろそろ遍路道に入らなければならないのに、いつまで経っても看板が現れないものだから、10qほど走ったところで、マウンテンバイクを降りて、もう一度地図を確認した。その結果、幸いなことに自分達が自転車を降りた地点から少し進んだところを左折して遍路道に入ることが分かった。
遍路道を抜け、舗装道に合流。この細い道を200〜300m走ると、突き当たったところで道が二手に分かれた。ここにはどちらへ進むという看板がなく、どちらに進もうか迷ったが、アホの末の勘で左に行くことにした。最初は、疑いなく後ろからついて行った私だったが、5分ぐらい走ると、進む方向の目安である内子駅からどんどん離れていることが分かったので、アホの末を大声で呼び止め、来た道を引き返した。どちらへ行くか迷った三叉路まで戻り、逆の方の道へ500mほど走ったところ、内子の街に出て、大宝寺への看板を見つけることができた。もうこれで、何度この男に騙されたことだろう。ええ加減にせえよとは思うのだが、懐の大きい私は、旅にはこういうこともあっても良いかなと思うようになっていた。さすがは私、それに比べてアホの末の何と成長のないことか。一体、こいつは何のために遍路をしているのかという気にさえなる。 内子の街は観光地であった。そのため、観光客が多かった。江戸、明治、大正の面影を残す街並みが人気とのことだが、私はここへ来るまでそのことを知らなかった。結構、有名なんだな!何か美味いものでも食わせてくれそうな店はないかな!と思いながらも、ゆっくりその街並みに見とれている暇はなく、やはり、ここも私達にとっては通過点でしかなかった。 内子の街を過ぎ、国道56号線に合流して、500〜600m走ったあたりで右折して国道379号線に入った。ここからは、民家は殆どなく、山道を延々と上っていくようになる。それも、上りはますますきつく、ペダルを踏む足にも力が要った。私は一昨日ぐらいからのケツの痛みと、前傾姿勢を長く続けているために起こる腰の痛みで、走ることになかなか集中できず、ケツをサドルから上げたり、乗る姿勢を変えたりして落ち着きがなかった。が、そんな私の痛みを和らげてくれたのが、山間の美しい景色だった。 すぐ側を流れる川の何と綺麗なことか!その流れの清さに飛び込みたくさえなった。川幅がだんだん細く、流れが急になっていることから、結構な高さまで上ってきていることも分かった。周りの景色に気をとられて、しばらくは痛みも忘れていたのだが、30分も走ると、さすがにキツくなったため、自動販売機が置いてある農協の前で休憩することにした。
しかし、午後17時までに大宝寺へ到着しなければならないという、時間の制約があるため、そんな甘っちょろいことは言ってられなかった。ケツが痛かろうと、腰が痛かろうと、体力が余っている限りは、走れるはず。すぐに気持ちを立て直して、10分ばかりの休憩を終えた。
ギヤをかなり軽くしたため、ペダルを踏む力は重いギヤよりも少なくて済むが、ペダルを踏む回数が増え、運動量が増えるので、決して楽にはならない。走る辛さは同じである。 走るスピードは時速10qぐらいしか出てなかったのではなかろうか。歩くスピードの約2倍であるが、それでも歩くよりはましだった。 しかし、この上り坂の何と長いこと!遥か先までグネグネと蛇行しながら続いており、全く終わる気配がない。何度、途中で、マウンテンバイクを降りてやろうかと思ったことか。それでも、中途半端な場所で休憩をするとかえって疲れるので、とりあえず上りが終わるところまで行って休憩してやろうと考えていた。だが、上り始めて30分経ち、40分経っても一向に終わる気配がなく、「これはきりがない。」と思い、自動販売機のある神社の前で休憩することにした。 ここまで、既に7qも上って来ていた。それでも、前を見ると、上りはずっと続いている。それを見て、ここからの残り10qほどが本番なのだということを悟った。やはり、八十八ヶ所の中でも最も苛酷といわれている、大宝寺までの道程。半端じゃない!
私のケツと腰は言うに及ばず、お互いにかなりの長さを上ってきたため、足が筋肉痛でガクガクだった。七子峠の上りも長かったが、こっちの上り方が、傾斜も長さも断然上である。また、体力の消耗度も全然違った。残りの10qが、ずっと上りで、遍路道も交えるであろうことを考えると、この休憩中にエネルギー補給をしておかなければと思い、カロリーメイトを食った。これで、エネルギー補給はできたわけだが、手持ちの食料は底をついてしまった。 こんな山奥だから、コンビニやスーパーなどあるはずもなく、一瞬、辿り着けなかったらどうしよう!と不安にかられた。だが、アホの末とくだらないことを話していると、気が紛れて、ここでもまたもや「どうにかなるさ!」という気持ちに切り替わった。どうにかなると思っているからどうにかなるのだろう。休憩を終えて、走りを再開する私達には何の不安もなかった。
それにしても、深々と水を湛えた川の青色と、岩場の緑色の対比が見事だ。緑に青と、寒色系なので、冬にこの景色を見ると、寒々しいが、今は春なので、とても涼しげに見えた。
「こりゃあ、半端じゃねえ!」と、お互いに口に出しながらも、休むことなくマウンテンバイクを押して歩き続けた。5〜6分ほど歩いたら、気が済んだのか、アホの末が再びマウンテンバイクにまたがったので、私もマウンテンバイクにまたがった。移動では、第1回目の遍路から、急な坂を上る以外は、アホの末のペースで動いていており、何から何までアホの末に合わせるので、たまに、まだマウンテンバイクを降りたくないとか、もっと進みたいと思う時もある。そんな時でも、渋々とアホの末に合わせるのだが、この時は、私も疲れていたので、「いくらでもマウンテンバイクを降りてくれ!」と、アホの末の行動に素直に従っていた。
だが、如何なる時も諦めないのが漢である。「行くしかねぇ!」と覚悟を決めて、坂を歩いて上り続けた。 上り続けている最中に民家を発見。こんなクソ山奥に民家があることに驚きつつも、これ幸いと思い、その民家の入口にある水道水で喉を潤した。そこから500mほど上ったところに、お馴染みの遍路道の看板を発見。いよいよ舗装されてない山中の道に入って行くこととなった。遍路道の入口の形状から察するに、とんでもない急傾斜の遍路道であることがすぐに分かった。
この遍路道は、長く続くかと思いきや、山の頂上まで、ほぼ真っ直ぐ上るだけの道で、500m〜600mも上ったところで頂上に着いた。だが、とんでもない急傾斜を上り続けた疲労度は凄まじく、頂上に着いたからといって、すぐにマウンテンバイクにまたがることはできなかった。2人とも、息を整える必要があったのだ。1〜2分ほどで、息を整え、マウンテンバイクにまたがり、急傾斜を下った。 さすがにこれだけ急傾斜だと、ブレーキを思いっきり握っても、結構スピードが出るため、石や木の根につまづかないように、道から飛び出て下に落ちないように細心の注意をはらって下った。おかげで、下り終えて、遍路道を抜けた時には、肉体的にも精神的にもかなり疲れていた。
大宝寺まではあと5qぐらい。この急傾斜の上り坂を前に、その距離は絶望的である。だが、諦めることはできない。諦めると、この疲労の度合では、もう動くことができなくなる。だから、タイムリミットぎりぎりまで、諦めることなく前進することにした。 はっきり言って、もう歩くのもマウンテンバイクに乗るのもほぼ同じスピードだった。しかし、上り坂では、スピードが同じであろうが、なるべくマウンテンバイクに乗っていたかった。それが、マウンテンバイカーの意地なのだ。それでも、さすがにこの急傾斜では、体力を消耗しているためマウンテンバイクに乗り続けることができず、乗っては降り、降りては乗りを繰り返し、少しづつではあるが、大宝寺までの距離を縮めていった。
ただ、問題は寝る場所と食い物である。大宝寺までの道中が、こんな調子で、奥深い山の中であれば、野宿をする公園や飯を食う店も、当然、期待できるはずがない。手持ちの飲み物も食料も底をついていたので、どうしよう!と、普通ならば弱気になるところだが、こんな時に頼りになるのが、いつもの「なんとかなるさ!」という自分の中の根拠のない自信だった。 これまでに「なんとかなるさ!」が何度もなんとかなった自信からか、なんとかなる確信もあったし、どうにかしてでも自分の思うようにするつもりであった。幾度の窮地を体験して、自分の願うことを手繰り寄せられるような、そんな気になっていた。
大宝寺までは、あとわずかの距離であったが、タイムオーバーになってしまったことで、気持ちが切れてしまったことと、溜まった疲労及び激しい空腹感で、足が思うように前にでなかった。この遍路道の険しさは、とりたててどうのこうの言うほどのものではないものの、そんな諸々の要素で、体が動かないことから、途中で少し進んでは休み、少し進んでは休みを繰り返しつつ、少しづつではあるが、歩を進めた。
私は、自分の思う、願うことを現実のものとすることができると、信じこんでいたため、こんな極限状態にあっても不安は全くなかった。だが、私の願いも虚しく、幾ら進んでも、遍路道が終わる気配はなかった。
膝はガクガクだし、意識は朦朧としてきていたが、気力だけで、体を動かしていた。今まで、数々の過酷な遍路道を通ってきた私も、この時ほど追込まれたことはなかった。もう既に、私もアホの末も話す元気もなく、少しでも早く遍路道を抜けたい一心で、黙々と歩き続けた。他の人の目から見たら、いつ倒れてもおかしくないような歩き方をしていたことだろう。 歩きながら、もう、何十回、いや、もしかしたら百回以上も通ったかもしれない遍路道の景色に飽き飽きしながらも、「早く終われ!早く終われ!」と、常に心の中で叫んでいた。そうやって、遍路道を行くこと1時間、この遍路道が続く山の頂上まで、必死の思いで辿り着くと、まずは下界を望んだ。「街や!」最初に目に飛び込んできたのは、下界に広がる街であった。小さい街ではあるが、飯を食うところも、コンビニもありそうだった。肉体的にも精神的にも、もう後がない状態だったので、嬉しさのあまり、つい「よっしゃあ!」と、大声で叫んでしまった。
しばらく、座り込んでいたが、気持ちが落ち着くと、この日に寝る公園を探すために、通行人に公園の場所を聞くことにした。 まずは、ガソリンスタンドの店員に聞いたところ、公園は大宝寺に行く途中にあるとのことだったが、そこでは野宿をするお遍路さんが多いとのことなので、念には念を入れて、もう一ヶ所ほど、違う場所を通りがかりの中学生に聞いた。その公園は、大宝寺からは逆の方向へ行くようになるため、遠くなるのだが、普段は殆ど人が行かない公園らしいので、まずはその公園に行ってみることにした。 その公園は、大宝寺から1.5qほど遠ざかった場所にあった。なるほど、街中からはそんなに離れてないものの、ひっそりとした山中にある、何とも寂しく、不気味な雰囲気のある公園であった。公園の大部分を占めるのは、大きな池であり、その池の真ん中に桟橋でつながった小さな出島があった。そして、その出島には屋根がついた休憩所があった。 はっきり言って、私は霊感とかそういうものは全く無いのだが、この公園に野宿するのは気がすすまなかった。霊感も無いのに何故そんなことが言えるの?と思われるかもしれないが、とにかく嫌だったのだ。 一番嫌だった理由は、池である。水のあるところには集まりやすいと言われることもその理由だったが、沼とも池とも見分けのつかない、どういういわくがあるかも分からない、その池が嫌だったのである。だが、街からも近く、綺麗な公衆便所もあり、寝るのに適した池の中の出島の休憩所もあるという好条件からアホの末がこの公園を野宿場所に猛プッシュ。それに押され、私も嫌々ながら、この公園で野宿することを承諾した。が、承諾したものの、池が、この不気味な雰囲気が気になって気になって仕方なかった。 後に、この公園で野宿することで、恐い思いをすることになろうとは、この時は知る由もなかった。
しかし、さすがに肉を食わせる店でなくても、どこかの店が営業していると思い、小さい街をくまなく探し回ったのだが、結局、営業している店は一つも見つけられなかった。飲食店の組合でもあって、ゴールデンウィークは営業しないと決めているのだろうか。全ての飲食店が一斉に営業しないということは、客にとって、すごく不便なことなのに。 全ての店が休みということで、残る選択肢は、コンビニかほか弁かに絞られた。ほか弁も前日、食って不味かったのだが、さすがにコンビニの弁当よりはましだろうということで、前日に引き続き、ほか弁の弁当にすることにした。 私は、前日の反省から、チキン南蛮は選択せずに、四国のほか弁独自のメニューである、とり肉弁当にした。そして、ほか弁裏の空き地に行き、とり肉弁当を食べたのだが、やはり、前日のチキン南蛮と同じく不味かった。 四国の人は、この味を美味いと思っているのだろうか?山口県のほか弁の味に慣れている私としては、どうもこの味には馴染めないのだ。 それでも、どうにか完食したが、空腹感がなくなっただけで、満足感はなかった。
洗濯が終ると、時刻は午後8時を過ぎており、辺りは既に真っ暗だった。これから、あの不気味な公園に戻らなければならなかったのだが、正直、私は戻りたくなかった。あの公園に戻るくらいなら、このコインランドリーに泊まった方が良いとさえ思っていた。 それでも、アホの末が、戻る気マンマンだったので、渋々、私もアホの末に従い、公園に戻った。 公園に戻ると、まずは桟橋を渡り、池の中央の出島の休憩所に行き、荷物を降ろして、休憩所のベンチに腰かけた。周りを見渡してみたが、暗くて、遥か先に民家の光があるのと、池の周りに鬱蒼と草木が茂っているのしか見えなかった。池の大きさは直径200mぐらいの、だ円形に近い形で、水はかなり濁っており、深さもかなりありそうだった。出島の直径は10mほどで、休憩所は、その上のポンと乗っていた。周りには何もないため、カエルの鳴き声しか聞こえず、とても静かだった。しかし、その静けさが、暗さと相俟って、かえって不気味さを醸し出していた。 すぐにでも逃げ出したかったが、とりあえずは、ここで泊まろうと、覚悟を決めていたため、不気味に思うのは自分の気のせいだと決め付けて、我慢することにした。 腰を下ろして、落ち着いたところで、まずはアホの末が歯磨きと体を拭くために、出島から300mほど離れた便所へ行った。アホの末が、便所へ行ったことで、私は出島に一人ぼっちになってしまった。「一人で出島におるのが恐かったら、一緒に行くか?」と、アホの末に言われたが、そう言われて一緒に行くのも癪だし、人気がないとはいえ、一応、荷物の見張りもしなければならないので、「俺は大丈夫やから、お前が先に行け!」と、言って断った。だが、本心は、アホの末の言葉に甘えたかった。こんな不気味な出島に一人でいるのは、とてつもなく嫌だったのだ。 アホの末が便所に行ってからは、幽霊がでたらどうしよう!池の中から河童が現れたらどうしよう!と、とてもネガティブなことばかり考えていた。そんなネガティブなことばかり考えるものだから、恐怖が恐怖を呼び、ますます恐くなった。マジで、すぐにでも逃げ出したい気分だった。それでも、「俺は漢塾塾長、恐れるものは何もない!」と、自分に言い聞かせて、恐怖に耐え続けた。 アホの末は20分ぐらいして戻ってきた。暗闇で、私の表情がアホの末には分らなかったみたいだったが、恐怖のあまり、その時、私は顔面蒼白であった。 今度は私の番ということで、マウンテンバイクから取り外したライトの灯りを頼りに、真っ暗な道を歩いて便所まで行った。この公園の便所は、不気味な雰囲気に似つかわしくなく、丸太作りのとても綺麗な建物で、入口には戸があり、鍵をかけられるようになっていた。中も、掃除がよくされており、清潔に保たれていた。 だが、建物も中も綺麗なこの便所に入った時に、なんとも言えぬ圧迫感を感じた。前後左右上下、どの方向からも誰かから見られている気がしたのだ。勿論、便所には、私以外の誰もいない。しかし、確実に何者かの気配があることは、私が見られていることは間違いなかった。これまた先ほどと同じく、逃げ出したくなったが、やることをやらずに逃げ出すわけにもいかず、その視線に耐えながらも、やることをやり続けた。 ところが、その視線や圧迫感に慣れてくると、姿を拝んでやろうかという気になり、鏡をジッと覗きこんだり、便所の中を見渡したりしたが、何者も見つけることはできなかった。やることをやり終えても、依然として、視線も圧迫感も感じていたが、私には何も見えないし、物理的な現象もないので、それは自分の思い込みだろうと決め付けて、便所を去った。しかし、気のせいではなかったのである。 私が、出島に戻った時には、アホの末が蚊帳を張って、寝仕度をしていた。お互いに話すこともやることもないし、ここまでに、険しい過程をこなしてきただけあって疲れきっていたので、すぐに寝ることにした。時刻は、午後9時半頃だった。寝袋に入って、目を閉じたら、疲れのあまり、すぐに眠りに落ちるかとおもいきや、なかなか眠れない。それどころか、便所で感じたのと同じく、圧迫感を感じる何者かの気配がするのだ。 金縛りにはならないものの、上から喉元や胸元を押さえつけられているような重苦しさもあり、気になって気になってならなかった。しかも、時間が経つにつれて、辺りの空気もどんどん澱んできているのが分かった。重苦しさと、澱んだ空気から、呼吸をするのが困難でさえあった。 そんな状態では、とても寝られるはずがなく、目をつむったまま、時間だけが虚しく過ぎていった。そして、目をつむってから2時間ほど経ったころだろうか。自分のすぐ近くで、何人かの人の小声でゴニョゴニョ話すのが聞こえてきた。気になったので、起き上がってから、周りを見渡したのだが、出島には勿論、公園にだって人がいる様子はない。おかしいなと思いながらも、再び寝袋に入って、目をつむろうとしたころで、隣でグーグーいびきをかいて眠っていたアホの末が、寝袋に入った仰向けのままの姿勢で、真上に跳ね上がった。一瞬のことだったが、確かに7pくらいは、体全体が真上に跳ね上がっていた。それを見て、どうやったらあんな跳ね上がり方をするんだ?と疑問に思った。私には、これがこの世の者ではない者か、物の怪の仕業であったように思えてならなかった。 そう思うと、再び恐怖心にかられた。だが、こんな真夜中に寝場所を移動するのも面倒臭くて嫌なので、我慢して寝ることにした。起き上がる前と同じく、重苦しさも、見られているという圧迫感もあったのだが、眠りに落ちてしまえば、すぐに朝になると思い、できるだけ、何も考えないようにすることにした。そうやって頑張ること15分、未だに眠りに落ちそうな気配はなかった。 そして、眠れないことに苛立ちを感じながらも、仰向けに寝ている重苦しさから解放されようと、寝返りをうとうとした時のことだ。突然体が硬直したかと思うと、私の意思とは関係なく、両腕が垂直に上に上がったのだ。 それに気付いた私は、飛び起きて、「今のは一体なんだったんだ???」と、驚きのあまり、30秒ぐらい呆気にとられていた。30秒経って、自分に起きたことを理解したため、あまりもの恐怖で、「もう耐えられねえ!こんなところ早くおさらばしなければ!」と思い、のん気に眠っていたアホの末を叩き起こしてから事情を話した。 アホの末は、「お前の思い込みやろう。」と、私の言うことを信じようとしなかったが、私があまりにも真剣に、この公園とおさらばしようというものだから、結局、渋々ながらも、移動することを承諾した。 移動することを決めてから、荷物をまとめて立ち去るのに10分とかからなかった。去り際に、ここで写真を撮ったら写ってるかもと考えたりもしたが、そんな禍々しいものは撮りたくもない。この場所は、私の記憶にも記録にも残したくないのだ。残念ながら、記憶には一生残ることだろうが。 街へ戻ったところで、自販機でコーヒーを買い、一服した。恐い思いをした後のコーヒーは格別であった。コーヒーの甘さのおかげか、もうすっかり恐怖感というものはなくなっていた。私は甘いものに目がないため、甘いものをとると、嫌な事があってもすぐに忘れてしまうのだ。お得な性格である。 不気味な公園を逃げ出した私達は、ガソリンスタンドの兄ちゃんに聞いていた、久万公園を目指した。久万公園は、大宝寺に向かって1qほど、街中から山の中へ入っていかなければならないため、少々上りがきつかった。 私達は、体も拭いて着替えもしていたため、きつい上り坂では、歩くなどして、極力汗をかかないように努めて、どうにか汗をかかずして久万公園まで辿り着いた。久万公園は、先ほど恐い思いをした不気味な公園とは違い、清々しい空気に包まれた、雰囲気の良い公園であった。この公園にも、入口を入ったすぐのところに屋根の付いた休憩所があり、私達はそこで寝ることにした。 雰囲気も良く、屋根の付いた休憩所もあって、私達にとっては文句なしの久万公園だったが、街からは200mぐらい標高が上がっていたので、5月というのに結構寒かった。でも、それは、着込んで寝ればいいだけのことで、大した問題ではなかった。久万公園から、大宝寺までは約1qほど。本当に目と鼻の先である。 ここへ来るまでには、あまりにもいろいろなことがあった。特に不気味な公園での出来事は、不要なおまけであったが、この日の最後の最後に、こんな恵まれた場所で寝られることを思うと、それも自分がした選択ゆえに起こった出来事だと、すんなり受け止めることができた。 どんな辛いことや苦しいことがあっても、結局最後は、自分の思うようになったことで、「思い」の力を確認することができたし、見えざるものによって私達は、支えられている、助けられていることを実感したのだった。 寝袋に入った私は、ただただ、そのことに感謝していた。幸福感に包まれていたので、眠りに落ちるまでは、そう時間がかからなかったように思う。
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